ハシビロコウのボウビロク

ネットの海に書き残しておきたいことを書いています

【ネタばれあり】すずめの戸締まりは家のなかった人間には辛かった

ネタバレなしで書くなら「良かった」。

というか元々テーマとして背負ってるものが大きすぎて良かったか良くなかったかしか触れられない気がする。

そもそも見たきっかけが「芹澤朋也とかいうドスケベ成人男性(ゆーいちさん似)がいる」だったのでうかつだった。
確かに見た目チャラ男中身優男とかいうドスケベの極みだったし、なおかつ不憫属性付きというこれは"わかり"ますわってキャラだったので。

芹澤朋也、教師なるのやめとけ。生徒の癖(へき)が狂うぞ。

ダイジン周りの疑問を書こうと思ったけど、「日本の神様って気まぐれだもんね!」で大体終わったので書くのはやめました。

ただそばに突っ立ってた草太のことは朧気に覚えているのに高校生すずめの語りは覚えていないんかい!って突っ込みも「4歳のすずめにとっては草太がすべてを吹き飛ばすぐらいのイケメンだった」という結論で終わったので書くのはやめました。

 

本題 家のなかった人間には辛い

 

すずめ(4歳)が親を失って泣いているところで、現在のすずめが「明日は希望に満ちている」と伝える。
同様に草太は家族や友人、すずめを思って生きたいと願った。

 

 

ところで自分に安心して帰れる場所はあるか?

無条件に愛してくれた人はいるか?

 

 

=====ここから自分の過去回想=====

保育園のころに妹と一緒に怒られて「児童養護施設に出すからな」と母親に言われた。
次の日には自分たちの荷物がまとめられていて必死になって泣いて謝った記憶がある。
その後もよく怒られるたびに「出てけ」と怒鳴られたものだ。

小学生になって、変わり者だったからか嫌がらせを受けるようになった。
「学校に行きたくない」と言っても「我慢しなさい」で家から追い出される日々だった。

中学生の頃、靴に画鋲を入れられていたことがあった。
先生に相談したが、特に何かしてくれるということはなかった。
後日、同じような手口に遭い足を怪我した人が出た。
学年の先生たちは丸一日授業をつぶして学年集会を行った。
その中で、何人か同じ被害にあっていると名前を挙げた。
ただし自分の名前は出なかった。
人を信じてはいけないと固く思ったのはこの時だと思う。

=====ここまで自分の過去回想=====

 

助けてほしくても誰も助けてくれない。
ここは家だろうか。安心して帰れる場所だろうか。
その日耐えた辛さが昨日になって、また辛い明日に向かって今日を耐えなければいけない。
いい子でなければ、いい人間になければ、評価される人間になりたい、普通になりたい
そうやって自分に呪いをかけて勝手に辛くなってるだけでは?
じゃあ自分の心があるべき場所ってどこ?

 

 

家族を突然失うというおそらく人生の中でも最も辛いレベルの悲しみを、キラキラとした恋愛・家族愛・友情で乗り越える様は、過去の死に比べたら些細な苦しみや未練を乗り越えられず、漠然とした死にたさを抱えた人間にとっては結構痛かった。フィクションなのにね。

 

自分の心の後ろ戸が開いてミミズが出てきたので、閉めるのに苦労する。